人気ブログランキング | 話題のタグを見る

花作り

musasi336.exblog.jp
ブログトップ

山陰遊悠・歴史街道の旅-1

 5月の連休明け6日間掛け、広島・山口・島根・鳥取と山陰地方 幕末のヒーローを初め神々の故郷 歴史に触れてきました
個別に行った所が多いのですが、新たに観て観たい所も含め再確認の旅でしたが旅行中雨にも合わずまずまずの天気で予定していた所は全部回れたように思います。


久居から~草津~吹田~神戸~宮島と高速を走り厳島神社を散策
清盛ゆかりの地 平清盛が日本を制する基礎となった広島宮島厳島神社
前回は干潮で海水に浸かっていなかった大鳥居を是非海に浮かんでいる姿でと想像していましたが、海に建つ大鳥居は、4月の強雨で緊急修理中で防護ネットに覆われ全景が見られず残念!
社殿
現在の様な社殿になったのは、清盛が夢のお告げを受けてのことだとか
神殿造りの粋を極めた建築で回廊で結ばれた朱塗りの社殿は、20数年前に訪れた時と何一つ変わっていませんでした。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_1257494.jpg

山は青葉が茂り、朱塗りの社殿が映え 又潮が満ちていて海に浮いているような社殿も見る事が出来いつまでも後世に継承していってほいいと願いつつ後にしました。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_1257471.jpg

山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_12581074.jpg


山口県岩国 広島から1時間ちょっとで岩国に入り 武家屋敷跡や錦帯橋など散策
錦帯橋
日本3名橋の一つ。岩国領主「吉川広家」が岩国城を築城し城と城下町を繋ぐ橋で錦川に架かる五連の木造アーチ構造の橋ですが
パンフレットには「川を渡る竜のごとく]と錦帯橋を表現してますが実際渡って見ると一連ずつが竜のうねりにも似ていて反り返りの姿が何とも美しい。
あの岩国生まれの「宇野千代」さんが「この錦帯橋を渡る度に私は何とも言えない幸福な気持ちになる]と言ってます。私もとても満足な幸せな気持ちになりました
山のてっぺんに小さく岩国城が見える
何度来て見ても本体の木組みに工夫を凝らした5連の橋は美しい
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_1312864.jpg

岩国城
錦帯橋を渡り岩国城下のロープウェイを乗り継ぎ横山山頂へ そこから歩いてさらに15分城山に。緑生い茂る城山は白亜の城をです
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_1323277.jpg

錦川に囲まれた天守閣からは、錦川に架かる錦帯橋とその先に広がる岩国の街が見渡せる
城下町
藩主「吉川広家」は横山山頂に城を山麓に居館を築きその跡地を公園や資料館・家老宅など錦帯橋を基準に整然と整備され散策できるようになっていて素晴らしい景観でした。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_1351298.jpg

宇野千代さんの生家が公開されていると言う事で寄ってみました。
エッセイで「自分は一生死なないのではないか」と言い98歳で長寿を全うされた千代さん
係りの人が「よう おいでました」と山口弁?でお出迎えしてくれました。
趣を残す板塀に囲まれた平屋の生家は、千代が晩年修復して住めるようにしたそうです
文机には、きれいに削られた鉛筆が2~30本置いて有り、仏壇に手を合わさせていただきました
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_1391120.jpg

 縁側から見える庭には50本あるという紅葉が新鮮な新緑をさわやかな風が吹き抜けていました。
着物デザイナーの千代さん「桜の花」が好きで着物とハンカチにさくらのデザインが沢山置いて有りました。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_1394770.jpg


秋芳洞入口
ゴールデンウィーク明けと平日と言う事で、貸切状態で洞窟に入るのがためらわれる気持ち
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_1311561.jpg

秋芳洞は2回目ですが、中は四季を通し17度と、ひんやりと冷気が気持ち良い。
百枚皿・石灰華の滝などスケールの大きさには圧倒される
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13125343.jpg

洞窟の中間くらいにある「黄金柱」前回のツアーで集合写真を撮った所だと思い出しましたが
洞窟の中でも桁違いに大きな柱に見上げるばかり
大自然の神秘を感じるひと時でした。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13133953.jpg

秋吉台
秋芳洞の上に広がる台地
日本最大のカルスト台地で「秋吉台を作っている石灰岩は3億年前の昔 海の中のサンゴ礁として生まれ、この石灰岩は雨水に溶ける性質があり独特のカルスト地形を作りあけた」パンフレットよりに
有るように広大な草原に石灰岩が至る所にあり独特な雰囲気を出していて、その中を貫く道路は
延々と続き「草原の中に石灰岩が美しい模様」の様に見えました。
霞んでいて上手くとることができず残念でした。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13153564.jpg

角島大橋
此処はこの旅で 楽しみにしていた場所 角島は山口県の北西 日本海に浮かぶ小島 本土と島を結ぶ橋で、テレビ番組やコマーシャルのロケ地として取り上げられている、きれいな橋です。
白い砂浜とエメラルドグリーンの海 そしてそこに架かる白いスマートな長い橋 少し霞んでいましたが、南国の海を想像するような素敵な場所でした。
海土ヶ浜公園の売店のおばさんに「晴天で見たかったわ~]と言うと「もう一度 おいでまっせ」と言われましたが満足でした。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13171320.jpg

山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13175676.jpg

長門市油谷の棚田
東後畑棚田は、半島部分が海岸近くまで迫っているため眼下に日本海を望み棚田を見ることができる所で、もうほとんどの田んぼが水を張りをして有り写真に収めるには良かったのですが残念な事にこの日は黄砂の影響で日本海が望めませんでした。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13194681.jpg





金子みすずロード
やってきました!仙崎へ
大正末期から昭和初期にかけて活躍した童謡詩人
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13251427.jpg

金子みすず記念館
再現された「金子文芸堂」の店内と暮らした家の中を見学 2階にみすずが暮らした部屋がありかなり大きな家でした。本館には、みすずの年表と資料が一杯
26年と短い人生でしたがすぐれた多くの詩をたくさん残され豊かな心を持つみすずさんを垣間見た気がしました。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_1326359.jpg

駅から記念館までを「みすずロード」と名付けられいてどの家にもみすずの詩がが書かれた板が掛けてありました。
それぞれの思いが「みすずロード」を飾っています。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13274496.jpg

萩城下町
萩城下町を歴史と伝統を感じながら歩いてみました。
江戸時代以降城下町として栄えた街で、その伝統的な碁盤目状に形成されていて道幅は狭いのですがで伝統的な街並みが保存されていて 散策中に萩焼のお店を覗いたりちょっとお茶できるお店なども、あり、そして萩市の果物夏みかんが至る所に。夏みかんソフトクリームは、さわやかで美味しい。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13302543.jpg


江戸屋横丁・伊勢屋横丁・菊屋横丁と呼ばれる小路を歩けば、なまこ壁の土蔵・門・土塀などが並び萩藩ご用達の豪商の菊屋や木戸孝充(またの名・桂小五郎)や高杉晋作の生家など狭い路地は見どころが沢山あります
木戸孝允(桂小五郎)の旧家
松下村塾で学ぶ。薩摩出身の西郷隆盛・大久保利通と並ぶ維新の三傑の一人。享年45歳
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_1332415.jpg

高杉晋作誕生の地
松陰の教えを実行し時代を駆け抜けた27歳の短い一生
肺結核の為 幕末期長州藩を、討伐の方向に決定付けた革命児でしたが 大政奉還を見ずこの世を去る
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13331058.jpg

萩博物館
歴史・民俗・産業など萩に関する資料が保管し展示されていました。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13341910.jpg

松陰神社
吉田松陰を祭神とする神社
両脇の松の参道を行くと,社が見えてきました。学問の神と言う事で来春入試を控える孫の為に手を合わせましたが、わずか29歳の生涯で明治維新の立役者達を数多く育てたと言う松陰
思想家・教育者とは言うも その若さで自分の思想を貫き通し、安政の大獄で刑死とは、日本の未来を見据えていた大切な人を失ったと思います
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_133633.jpg

松下村塾・旧宅
松陰神社の境内には。安政の大獄により29歳で刑死するまでの2年間、若き門下生に新しき日本を拓更選の道を熱く説き、高杉晋作・桂小五郎・伊藤博文・山県有朋など 明治維新に関わる者や内閣総理大臣、各大臣や大学の創業者など多くの偉人を輩出した凄さ。、前期はツアーでゆっくりできなかったのですが今回はゆっくりこの地に立ってパンフレットを見改めて吉田松陰の凄さを肌で感じてきました。
松下村塾外観     講義室全景    旧宅     松下村塾に飾らている署名な門下生肖像画
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13395048.jpg

萩から1時間かけ津和野に入る
津和野の入り口に「森鴎外」の生家に寄りました
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_13471581.jpg

太鼓谷稲成神社
萩から津和野に入ると左手の山の中腹に、太鼓谷稲成神社が見えてきたので行程にはないのですが寄って見る事にしたのですが寄ってみて正解。日本五大稲荷の一つだったのです
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_14111834.jpg

社殿の朱色が美しい
津和野藩主が津和野藩の安穏と領民の安寧を祈願し京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始まり
社殿は津和野の街を向いていて、ここからロープウェイが出ていて山頂には、津和野城址がある
中腹の神社からは、津和野の街が一望できる
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_14121763.jpg

朱色の鳥居の群列は、千本鳥居と言われ 裾野から社殿までつながっていました。
山陰遊悠・歴史街道の旅-1_f0150427_14143260.jpg
by musasi336 | 2012-05-30 13:48

影絵のリンゴ


by musasi336